大会レポート2005

全日本学生ソーラーカーチャンピオンシップ(JISC

 

 毎年7月下旬から8月上旬にかけて行われている全日本学生ソーラーカーチャンピオンシップ。三日間走って最も多く周回したチームが優勝となるレースです。いままでサークルとしてはH-2クラスで2001年から三連覇、そして去年は新しいマシンで出場しF-2クラスで優勝。そして、今年も優勝を目指してこのレースに今年も参戦してきました。

 そこで、今年の大会の模様をあくまで主観的にレポートしてみました。途中何を言っているかわからないところもあるかもしれませんが、最後まで読んでみてください。

7月27日(水)

 

 予定出発時刻は21時。一ヶ月ほど前に鈴鹿へ試走会に行ったときは、予定は21時だったのに実際に出たのはなんと朝4時。一応この経験が生きたのか、今回はなんとか22時には出発することができた。途中何度かSAに寄りながら目的地、秋田県大潟村を目指した。ただ、一つ問題があった。それは車の割り振り。車は3台あったのだが、一台は先生が一人で運転し、一台(トラック)は僕と残り二人で順番に運転したのだが、もう一台はメンバーの家の車だったんで本人一人で運転することになってしまった。まあ、それは仕方ないにしても、

その車には他に運転できる人が乗ってないじゃん!

危ない。めちゃくちゃ危ない。なんでそんな割り振りにしたんだ!?まあ、その代わりゆっくり来いといったので、少しは大丈夫かな。いきなり心配な船出となった。

 

 その後首都高でまた問題が。それはなんと

道間違えました!

いやー5号に行くには、あそこで左に入るとはね。いやー気づかなかった(汗)!どうしようかなと考えていると、出発前に先輩が「6号からも行けるよ」と言っていたのを思い出し、同乗してた二人の「環状線一周してこよう」の意見を無視し、本当に行けるか調べずに勝手に6号に入りました。まあ、行けたんでOK!

 

7月28日(木)

 

 今日は車検の日。先生の車とトラックは早く着いたが、一台は案の定2時間ほど遅く着いた。その車が遅く着くのはわかっていたのでその間に車検準備をすればいいはずなのだが(少しはしたが)、ピットのテントの準備ができていなかったので、すぐには取り掛かれなかった。その間にもう一台が到着。ちょうどその頃、テントの準備が終わっていた。全員揃ったとこで車検の準備を急いで始めました。

 

 準備はそれなりにスムーズにいった。だが、自分の担当の計測器は固定方法を考えてなかったので、とりあえず乗せるだけになってしまった。そして車検場に向かう。すると

車検の列長っ!

毎年のことだが、なんであんなに並んでんの?しかも車検の効率が悪く、なかなか前に進まない。車検が早く終わればその分、この後のフリー走行の時間が取れるというのに。去年はほとんどデータが取れていなかったので、マネージメントをする上でもフリー走行でのデータは貴重なんですよ。まあ、そんなこと言ってもしょうがないのでゆっくり待ちました。車検は以外にすんなり通り、フリー走行を迎えた。

 

 しかし、マネージメントが初めてということもあってあまりいい指示をだせず、いいデータは取れなかった。データは明日のフリー走行に期待することになった。

 

 夜には車体班、電気班とも明日のフリー走行、予選に向けて徹夜で整備にあたった。

 

 

7月29日(金)

 

 AM8:00二度目のフリー走行が始まった。しかし、今日は天候に恵まれずずっと曇っていた。そのためデータは昨日同様にあまりいい結果が得られなかった。大会前にデータが取れるのはこのフリー走行のみだったため、大会にはほぼデータなしの状態で挑むこととなった。

 

 13:00タイムトライアル(予選)が始まった。この予選は400mのタイムを計測しタイムの早い順に本番のグリッドが決まる仕組みになっている。予選では特にトラブルもなく走行できた。順位は38台中17位。まずまずであった。

 

 夜は前日に続き徹夜。かなり疲労が溜まっているようだ。

 

7月30日(土)

 

 大会初日。8:15〜開会式・出走式を行い、9:00ようやくスタート。しかし問題発生。なんと計測器にコンパクトフラッシュを入れ忘れてしまう。これでは後に解析が行えなくなるという事態に陥いり、ピットの入ったときに入れるという案もあったが、その機械にはバックアップ機能があることに気づき、そのまま走らせることとした。

 

 天気はうす曇。非常に速度の指示が難しく初めは経験のあるチーム「ジョナサン」についていくことにした。しかし、ある情報が飛び込んできた。

ジョナサンの表示計はくるっているらしい。

まじですか!?それはまずい。とりあえず57,8km/hという指示を出す。その後、青山学院が同じくらいのペースであることに気づき、青山に着いていくという指示に変更。一時期かなり陽射しが強くなってきたので、進角使用の指示に変更。だが、それも長続きせず5560km/hの間で、天気を見ながらその都度指示を変更するという忙しい作業をしていた。

 

 12:00過ぎ、初めてのピットイン。ドライバー交代の練習をあまりしていなかったので、交代に2分ほどかかってしまった。練習をしなかったのは決してやる気がないというわけではなく、時間がなかったのです。作業がかなり押していたので…。しかし、それをいいわけにはできない。どう考えても

準備不足は否めない。

そのせいで後に苦労することになるわけです。もっと計画的にいかないと。

 

 その後、天気は次第に悪化。雲が増えてきただけでなく、とうとう雨が降ってきた。このとき車体には雨対策はしておらず、いい状態ではなかった。だが、どうすることもできず、このまま走ることにした。そして、二度目のドライバー交代。今回は濡れていた車体の中を拭いたりしたため、前より遅い4分ほど時間をかけた。無事にドライバー交代が完了し、あとは無事に帰ってくるのを祈った。

 

 雨のため発電は期待できないので、ペースを落とし一周を一時間ほどかけて走る指示をした。今考えれば少し落としすぎたとも考えられるが、明日以降にバッテリーを残すためにはこれが最善の方法だったと思っています。

 

 しかし、やはり落としすぎでした。それまでクラス一位で走っていましたが、最後の周回で長野工科短期大学校「Fizzer17」に抜かれクラス二位に後退。総合でも八位まで後退。Fizzer17に勝つには明日以降、Fizzer17より一周以上多く走らなければならない。だが、オーバータイムは6分差。まだまだ可能性は残っている。

 

7月31日(日)

 

 昨日より一時間早い8:00にレースはスタート。この日の天気はネットで見る限り、雨になる予報が出ていたので、セッティングを変え電圧を半分しかでないようにして消費電力を抑える作戦に出た。雨対策も行った。しかし、いざレースが始まるとセッティングがうまくいかなかったらしく、コントローラートラブルのためやむなくピットイン。ここでは15分ほどピットに時間を取られてしまう。

 

 なんとか修復しレースに戻ったはいいが、天気が一向に悪くなる気配がない。いやそれどころか、

晴れてるじゃん!

空を見る限り雨雲は一つもなく、このセッティングでは勝てないとふんだ。仕方なくもう一度ピットイン。セッティングを戻すと同時にドライバーも交代。このピットインでまた15分を費やす。序盤からかなり劣勢となったが、バッテリー残量があるのでここからはほぼ全速で走った。そして、なんとか前半の遅れを取り戻すことに成功。順調に走行して、二度目のドライバー交代を迎えた。しかし、ここでまた雲がではじめた。雨雲ではないが、発電が期待できるようではなかった。そこで、若干ペースを落とした55km/hに指示を変更。そのままの速度で走行し、二日目は14周を走行しクラス一位に躍進。総合でも五位につけた。

 

 だが後ろにはある刺客が近づいていた。それは北海道自動車短期大学「スリスY」。長野工科短期大学校「Fizzer17」とは一周差をつけたものの、スリスYとは同一周回。オーバータイムだけの差となっている。オーバータイムがうちのほうが少ないので、明日も同一周回数なら勝つことは出来る。明日、正念場を迎えることになる。

 

 

8月1日(月)

 

 今日もネットの予報では雨となっていた。確かに8:00のスタート前にはかなり強い雨が降った。だが、レースが始まると雨は止み、快晴もいいとこだ。まったく

何度外せば気が済むんだ!?

さすがにもうネットの天気は信用できなくなってきました。後から聞いた話によるとテレビの天気では晴れと言っていたらしい。なので来年からは

テレビを持ってきてください。

ちゃんとアンテナがついてるやつをね。

 

 レース中はずっと快晴だった。計測の結果、消費よりも発電のほうが多かったので常にスロットルを全開で走行。最後までこのペースを維持した。そしてこの日はS8の最高ラップ2621秒をマーク。周回数も去年の三日目より多い15周を走った。そのうえ、クラス二位を走る北海道自動車短期大学「スリスY」には一度も抜かされることはなかった。

 

 その結果、三日間で総周回数41周、F2クラスでの優勝を勝ち取ることができました。総合でも五位に入り、なかなか満足のいく結果がとなりました。

 

 

 今回の大会はとにかく準備不足であった。車体の改良が思うように進まず、出発日まで作業していたためピットの練習などが出来ず、持っていくものの準備もしっかりできなかった。この経験が必ず来年以降に活きてくると信じています。これからはもっと計画性をもって行動するべきだと感じました。

 

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